SNS(Social Networking Service)を含む公共メディアによる公衆の思想の形成についてです。
前回の米国大統領選挙ではTwitter®の活用による選挙活動がクローズアップされました。その前の大統領選挙でもFacebook®を利用したキャンペーンが盛んに行われたことは記憶に新しいところです。
今や日本の選挙活動でも重要な手段として活用されるようになっています。
マスメディアを使った世論形成手法は今に始まったことではなく、記事にもあるように優位性を確保するという目的で幾度となく用いられてきました。その危険性についてはいろいろな言葉で、いろいろな論点で幾度となく指摘されてきました。
そういった流れが時代の流れ、思想の変化だというのなら仕方がないことですが、閉鎖的な思想の温床となるのであれば極めて危険です。
SNSについていえば、誰もがアカウントを登録し、”友達”との連絡手段となり、情報源となり、リア充をうたう最も身近なメディアとなっています。身近なメディアであるからこそ、そこに映し出されるコピーや写真に親近感を感じ、共鳴することがあれば”いいね”を与えて仲間意識を共有することができます。
そういう環境では往々にして自分でも気が付かないうちに偏った思想・価値観に傾いてしまうことがあります。同じことを考える仲間が居ることで根拠のない安堵感を感じるということもあるでしょう。
いずれにしても他者の目に触れることなく仲間意識が盛り上がる、という推移を見ることになります。
それは間違いなく”力”ですし、場合によっては”危険思想”でもあります。言うまでもなくSNSは危険思想を醸す土壌となりやすいことは確かです。
紙媒体やブロードキャストが情報源であった時代には、良くも悪くも当事者にとっての第三者であるマスメディアによってフィルタが掛けられ、水面下で芽吹く危険思想を薄めていたと考えられます。そのリミッターが掛からない状況が起こっています。
どんなに突飛な話であっても、何度も耳にして誰かがそれに賛同しているのを見ていると、当たり前のことのように思えてくるものです。常識の範囲内の話のように思えて、ついにはそれが自分の意志であるかのように感じるようになります。
(ここだけ見ると、まさにマーケティング論のように見えますが。。。)
私たちもインターネットの情報の氾濫に飲み込まれ我を失うことなく、何度でも現実に立ち返ってきちんと考えるようにしなければなりません。
倫理の話ではありませんが、技術開発に携わる技術者も、他人任せにして立ち止まって考えることを放棄することなく日々の業務に臨みたいですね。
前回の米国大統領選で衝撃的だったのは「オルタナティブ・ファクト」であることを公的に認めたことです。本当は不実であると表明したくはなかったのでしょうが、マスメディアに責め立てられて仕方なくといったところかと。
目的のためには”嘘もまかり通る”という世論形成は非常に危険です。それを米国大統領サイドが公然と行うことを厭わないというのはちょっと理解に苦しみます。。。
以前、売り込みの電話がかかってきたときに「要らないというのに何でしつこく掛けてくるんですか?」といったら「仕事なので」と言われてとても不快に思ったことがあります。”仕事という目的があれば何をしても良いのか?”ということと、今回のこととがダブって見えてしまい、私事ではありますが書かずにはいられませんでした。
[…] 製できる」と書かれています。このスキームに従うならば、インターネット上で確からしく風潮すれば嘘を真実にすること、世論を操作することは簡単だということです。(「世論形成」) […]