添付の記事は、ある有名なアニメーションに登場する多脚戦車をロボットで再現したモデルの販売について書かれたものです。
SFの世界の話なのでこのような戦車が実在するわけではありません。
この戦車はAIを搭載しており、搭乗者と人並の会話ができます。時には冗談も言い、意見を述べ、こちらの心情を察したりもします。もはや一個の人格を備えている存在として描かれています。
AIの行く末がこれと同じになるかは未知数ですが、原作では一つの考え方として「並列化」という言葉が出てきます。
機体は個で作戦行動し、同時にさまざまな情報を知得して学習します。この事例では「AはB」という関係性をデータとして記憶します。のちの対応で「Aは?」と聞かれる場面があれば、「Bです」と答えるといった要領です。
個である機体は、それぞれが学習し個の中に知識が蓄積されて行きます。しかしながら部隊が運用する多脚戦車は一台ではありません。また、それぞれの機体に差異があっては、いざというときの統率の取れた行動に支障が出る場合も考えられます。
このため一日の作戦行動が終了したあと、個々の機体が獲得した知識を収集し、各機体のAIに複製する「並列化」という処置を施します。これにより各機体のAIは皆、同じ体験をしたのと同様の状況を作ることができるとされています。
原作では体験の記憶や能力は「並列化」されるようですが、個々の人格までは消失しないような描かれ方がされています。
また、ある日一台だけ「並列化」しない機体を残したら、その機体はどのような行動をするか、といった実験も描かれています。定期的にこのような実験を繰り返し行い、AIの思考を監視しているのだそうです。
確かに、集団の中の、個のAIとしての管理が大切なのでしょう。
製造機械しかり、品質を均一に保とうとすればAIをばらばらに運用する場面はあまりないのではないかと思います。どのような形にせよ工業用途である限りエラー情報の共有といった「並列化」が必要になるはずです。
複数のAIを運用するにはどうするのが良いかという考えはまだ本格的には議論されていないように思います。”人格”を「並列化」するのが良いのか、動機付けといった”意識”(「AIとデータマイニング」)までなのか、はたまた”経験値”のみを「並列化」すべきなのか、AIを謳う商品がピンからキリまである現在では何とも言えない気がします。