コンピュータ応用製品が広まるにつれ、知的財産に分類されるプログラムあるいはアルゴリズムの功労者、言い換えると利益を享受する者は誰かという意識されるようになりました。
ソフトウェアが欠くことができない技術である昨今、この課題は言うまでもなく一応の解決を見ています。
それは古来の日本の商習慣では行われてこなかった、事細かに「契約」を取り交わすこと、予見できるすべての事柄について事前に対応を決めておくということです。あまり画一的に適応できる解決策とは言えないかも知れませんが、それでも民事に関わるこの課題に対しては今はこれしかやりようがありません。
何か問題があったときの責任は誰が持つのかについても同様のことが言えます。
産業界の要請からAI技術への期待感が高まっています。すでに製品やサービスへの適用が行われ始めています。しかしながらAIの所業がソフトウェアと同一の理屈で考えられるのかというのが今回の命題です。
単なるソフトウェアとAIの違いとは何でしょうか。もちろんAIもソフトウェアの一種ですから、納品された時点ではソフトウェアです。
ですがAIは「発展するソフトウェア」なのです。現在のAIの能力向上にはデータの蓄積量、換言すると知識量・経験値が大きな役割を果たします。さらに理論の部分を担うソフトウェアの作成は小規模事業者でも可能だが、運用による知識量の蓄積・増加は大企業が圧倒的に有利という構造的な特徴があります。
納品物としてのAIのソフトウェア自体は著作権も含め従来のソフトウェアの枠組みとして扱えるとしても、その運用によって得られる知見であるとか知識量の増加は誰のものなのでしょうか。
AI技術がまだまだ未熟であり運用して初めて練度が上がる、品質が高まるという性格を有しているからこそ、このような課題が生じます。納品したのちも無視できないほどの価値の向上が見込めるのです。従って、こういった後発的な価値の受容者が誰になるのかに関しての考え方が必要になります。
一方で、向上した価値の範疇で引き起こされた損失や事故の責任は誰が負うべきなのかというものも同じ理屈です。つまり、AIソフトウェアの製造者が悪いのか、あるいは納品先での運用が悪いのか判断できないのです。
もしもこれらを従来通りの枠組み、つまりソフトウェア製造の枠組みで行うとすればそれは「契約」で、となります。
契約書を作成してみればわかることですが、起こり得る事柄を子細に論うこと自体が困難なのです。要するに後発的に生じる事柄を事細かに想起することはできないのです。そうなればいくつかの事項については契約書に記載するとして、それ以外の課題についてはどちらかの責任で処理するとするか、協議して決めるとか、そういった書きぶりにならざるを得ません。
でもそういう条項が書かれた契約書に安易に判を押せるものでしょうか?
AIの性質を理解しているならば必ずや苦悩することでしょう。何が起こるかわからないことに加え、影響範囲も予測不能であり、損害算定がおよそ無理だからです。
勢い立場の弱い側が折れて、従来通りの理論に従って契約を取り交わすことになります。
「立場の弱い側」とは誰でしょうか。現状、AI黎明期にあっては小規模ベンチャーであることが多いでしょう。するとAIの発展に資するはずのベンチャーの活動の妨げになるでしょう。それでは国策としての技術立国構想にとって不利なのです。
経済産業省は技術立国を目指して様々な施策を打ってきています。今回の記事は上述したような商習慣が次期有望技術であるAI発展にとって害を及ぼすと考えるからこそ国として指針を示すのです。本来は、民事の契約に対し省庁である行政機関が言及することは分相応ではないのですが、弱者にとっては何らかの後ろ盾が必要でしょう。強制力はないものの、指針無き新規技術に対してはこういった施策も時として必要です。