独占権を与えられた特許権などは親告罪という扱いのため、権利侵害を発見しても訴訟を起こさなければ強制的には食い止めることができません。
日本では原告側に侵害立証の義務があるうえ、たとえ訴えてもコスト的、期間的に折り合いが付かず、なかなか踏み切れないことが多いと投稿したことがあります。(「侵害立証」)
この記事は、そうではないんだ、という趣旨となっています。
記事では原告勝訴は約14%で米国の5割超えに比べて非常に低い値なのだそうです。しかし10%台とはあまりにも低すぎます。これでは原告側、権利者側が戦う前から戦意喪失するのも分かるかと思います。裁判はお金も掛かりますので、泣き寝入りする企業が多くあることは想像に難くありません。
そこで”実質勝訴”という理屈を持ち出してきました。
そもそも裁判に勝つということはどういったことを言うのでしょうか。裁判官から有罪を勝ち取ることでしょうか。確かに勝ち負けといえばその通りですが、その前に何のために訴訟を起こすのかを考えなければなりません。
特許権侵害などの訴訟の場合、相手の実施により損害が出ていれば、その損害を埋め合わせたいということだと思います。つまり勝訴を勝ち取らなくても原告が望む目的が達せられれば良いのです。
それは”和解”という決着です。裁判の途中で和解をしてしまえば、最終的な判決は出されないまま終結します。たとえ原告側に有利な和解が成立していても記録上は”勝訴”とはなりません。
こういった原告有利な和解で終結したケースを含めると、前出の約14%が44%にまで跳ね上がるとのこと。この数字は諸外国と比べてもそん色ない数字だと言います。
なぜ和解をするのか。それは被告側にとって敗訴してしまうと一般人から社会悪を働いた企業というレッテルと貼られかねないからです。米国などと違い、裁判というものが日常的でない日本では特に、裁判に負けるというのは企業イメージ的に痛手です。
裁判に進んだということは被告の側も勝てるという勝算があってのこと、お金が掛かっても反論することにしたはずです。裁判が進んで裁判官の心証が原告有利になってきたりすると、被告は不利な判決を下される前に和解してしまおうという心理が働きます。
原告側としても裁判を続けることは相当な負担なので、被告側から許容できる内容の和解案が示されれば、たとえ勝訴判決でなくても和解に応じる方が得策と思うでしょう。
したがって敗訴の記録は数字としてしっかり残りますが原告勝訴の記録は和解という決着に紛れてしまう結果、異常に低い数字となっているという理屈です。
ちょっと考えた方が良いのは、諸外国の裁判でも当然和解決着は相当数あるはずです。
日本の事情を考えたとき確かに一理あるとは思うのですが、うがった見方をすれば法曹界のイメージアップ、プロパガンダの一環とみることもできるのではないでしょうか。
どちらにしても和解は和解です、満願成就とはいかず依然として原告不利な状況には変わりありません。最終的に裁判という手段があるからいいや、ではなく日頃からトラブルに巻き込まれないような権利化と事業運営を心掛けるに越したことはありません。