長いことくすぶっていた日本音楽著作権協会(JASRAC)の、音楽教室からの演奏権にもとづく著作権料徴収に対する確認訴訟が提訴されました。
訴訟といっても被告であるJASRACが犯罪を形成しているわけではないので、あくまで確認訴訟というカテゴリーを採ったようです。これは特定の法律関係、権利関係の存否について争いがある場合に、その存否を確認する判決を求める訴訟です。まずは音楽教室での演奏について著作権違反が成立し得る場合があるのか否かを争うことになります。法的に成立する余地があるとなれば、そのあとで案件毎に争うことになるでしょう。
音楽教室側の主張は以前考察したように(「著作権侵害」、「著作権侵害(その2)」)、法的には不利なように思えます。一律2.5%を徴収するというのは無視できない額だと思いますが、その主張を見ていきたいと思います。
JASRACとしては類似の他のカルチャー教室からの徴収実績もあり、あくまで法的な解釈そのままで望むようです。
一方、教室側は、
として、当初の主張を曲げない姿勢を示しています。”公衆”の解釈を争うように見えます。しかしながら、単に”音楽教室での練習時の演奏”は”公衆に向けての演奏”ではない(私的な演奏か否かの争いは無い?)というのは、以前の考察も踏まえ厳しいと言わざるを得ません。
じつはこの記事だけだと教室側の主張が良く見えないのです。訴状には次の3点が示されていると言います。
- 「公衆」に対する演奏ではないことの主張
- 「聞かせることを目的とした」演奏の解釈
- 著作権法の立法目的(法第1条)、「公正な利用」「文化の発展に寄与」
一つ目の「公衆」については、少人数に対する演奏は「公衆」とは判断し難いことを述べています。それともう一つ、現行法制定時の資料に、教室という閉鎖的な場における著作物の使用は「公でない使用」であることが明記されていると言います。音楽教室側が強気に出ている理由は、おそらくこの事実があるからだと思われます。これが法理であると確認されれば、一気に原告有利に働くと考えられます。
二つ目の「目的」に依拠する主張は、あえて聞かせる演奏とは、官能的な感動を与えるものでなければならないというものです。
この主張はいささか限定解釈し過ぎに思われます。なぜなら著作権の存在する意義は創作者の精神活動にもとづく主義・主張を湾曲することなく保護することであり、創作意欲の維持のために金銭的な利益を得ることであるから、万民に感動が与えられたか否か、もっと言えば著作物に感動に至る素養があるのかどうかさえも著作権主張の要件にはならないからです。
それ以前に、音楽教室での演奏が感動を起こさせないものだと断定してしまうのはいかがなものかと。よって二つ目の主張は補強的な意見と見るべきでしょう。
三つ目の「立法目的」については文化の発展に逆行するという従来の主張です。換言すると、自由に利用できないところに文化の発展は無い、ということになります。
そう言ってしまうと著作権や著作権法自体の存在意義が怪しくなってしまいます。音楽教室の文化発展への貢献は、他のカルチャースクールのそれとは異なるという理由でもない限りは通りづらいと考えます。
以前の投稿(「著作権と文化の発展(その2)」)でも言及したように、「公正な利用」とは「公共の利益」と同様に考えるのが妥当でしょう。つまり公共の利益が人権を上回るときのみ個人の権利を制限をすることが出来るということです。
今回のケースが、個人の権利よりも文化の発展が優先される場面かどうかを考えなければなりません。
◇ ◇ ◇
原告の三つの主張について考えてみましたが、いずれも不利な点は当初の心証と変わりありません。
ただ、現行法制定時に教室という密室での演奏は公に当たらず演奏権の行使とは言えないという判断が下されるならば勝算はあります。
とはいえ、すでに世間で認知されている事例があるということではどこまで巻き返せるのかは分かりませんが。。。
[…] 作権料の徴収問題の決着はまだまだつきそうにありません。このブログでも何回か取り上げてきましたが(「著作権侵害(その3)」)、結論からすると音楽教室側の歩が悪い気もします。 […]