知的財産権とは、文字通り無形の知的な創作を財産権として認めようとするものです。人が元来持っているとされる、物の形として存在するものに所有権を認めた、有体物に対する所有権。その考え方を無体物にまで及ぼそうとするものです。
本来の所有権は、有体物を客体とすることから所有者は明確でした。この権利は特定に人に独占権を認めた強力な権利ではありますが、正しく運用される限りにおいては混乱は起きないはずです。
しかしながら、これが人の頭の中で創作される無体物にまで及ぶとしたら、混乱するのは必至でしょう。私の方が、より早く創作していたんだ、といったところで証明するのは不可能でしょう。そのため多くの国では出願主義を採用しています。つまり知的財産を所管する当局に対して、より早く出願した方が、より早く創作していた、とみなすのです。
もちろん、早くに出願したからと言って、その人が真の創作者であるという保証はないことは明白です。ただ、制度として成立するには、何らかの基準・ルールが必要です。
ちなみに出願主義の逆が発明主義です。発明者が権利を得る、これは至極まっとうな考えなのですが、証明性に欠点があります。いくら当事者が事実を叫んでみたところで、真実であるか否かは分からない。争いになれば、解決方法は裁判となり、信ぴょう性の高い証拠を互いに提出して、裁判所に判断を仰ぐことになります。
発明主義、そう、少し前までの米国特許法がそうでしたが、実際には客観的に先発明が認められるにはそこそこハードルが高く、法的な安定性が低い制度とはいえ、なんとか出願主義的な運用がされていたように思います。
もう一つのキーワードは属地性です。属地性については何度も触れてきたのですが、国際法を除けば、法律は各国それぞれに存在し、各国それぞれで裁かれるという原則です。インターネットが普及し、航空機に乗れば短時間で地球上のどこにでも行けるようになった現代では意外に思うかもしれませんが、日本の法律は日本だけでしか通用しないのです。知的財産権も、その国の中で与えられる権利でしかなく、条約などが締結されていない限り、他国では権利を主張できません。
さて、今回の表題である「知的財産の弊害」とは、商圏がグローバル化されたことと先願主義及び属地性の相乗効果によってもたらされるものです。
近年、発展が目覚ましい中国、GDPも世界第二位となり中国を無視しては商売が成立しない状況となっています。
以前の中国、工業力や技術力が低かった時代には世界の工場ともてはやされ、一方で、技術力の向上や、世界経済を意識して法整備も行われてきました。
そして現在、中国は経済力も身に着け、世界有数の市場として台頭してきました。法整備と世界市場化に目を付けた中国々民は、いずれ中国々内でも商圏が立ち上がることを見越して、他国で他人が使用し始めたばかりの知的財産を中国々内で猛烈に取り始めました。
それ自体は適法で問題は無いのですが、知的財産権には新規性が求められます。一般的に最初の人に権利を与えるべきであり、審査当局は、その申請のあった無体財産が誰も使用していないこと、つまり誰も創作していないことを確認してからでなければなりません。そうでなければ、後から独占権が発生することにより、最初に使用していた人は商売ができなくなってしまいます。本当にその知的財産権を使用して商売をしようとしているのであれば、知的財産権の本来の機能からすればそれでもまだ許せます。現実にはそうではないのです。
当の中国では、法整備がされているとはいえ、審査自体はまだまだ未熟です。先に述べた新規性の審査能力、つまり公知例の捜索能力が未熟であるため、すでに広く知られている知的財産であっても権利を付与してしまうことが、ままあります。それが海外の公知例ともなれば、抜けが多くなるのは必至です。公然の実施や文献の公開の事実を世界公知と言います。
容易に独占権が発生してしまい、いざ海外で商売しようとすると本来の使用者が困ります。これが、今回の記事の核心と言えるかと思います。急速に台頭してきた巨大市場ならではの現象ともいえます。
海外で利用され始めの頃、いずれ中国々内に進出してくるであろう知的財産を片っ端から権利化し、いざ進出してきたら権利を高く売りつけようという魂胆なのです。自分で使うのであればともかく、投資の一つでしかないとしたら、本来の知的財産権の趣旨は果たせません。経済にとってはどうか分かりませんが、産業の発展にとっては負担でしかなくなります。
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その中国も、追いかける側から、名実ともに先頭を走る側になろうとしています。そうしたとき、今度は自分たちが同じ責め苦を受けることになり、国として慌てて対策に乗り出したという記事です。やりたい放題、見逃し放題してきたツケが回ってきた形です。世界の先進国からすれば、米国が言うように「知的財産権の侵害」と思われても仕方がないことをしてきたのですから。
ちなみに、米国も世界第一位の市場として君臨してきた米国ですが、国内・海外分け隔てなく攻めるべきは責め、譲歩するべきは譲歩するフェアな市場が形成されているように思います。国民性というのか、市場性というのか、グローバリゼーションとはいうものの各国それぞれ実情は異なるようです。